5分でわかる坂口安吾の一生。どんな作品を書いて、何をつたえようとしたのか?

5分でわかる坂口安吾の一生。どんな作品を書いて、何をつたえようとしたのか?

坂口安吾といえば、太宰治らと並んで無頼派の代表作家と言われている人物で、戦後に発表した「白痴」「堕落論」などで脚光を浴びました。
最近では、ゲームやアニメ、また、小林よしのり著の「新 堕落論」などからこの名前を知っている人は多いのではないでしょうか?

坂口安吾とは、一体どのような作家だったのか。

今回は、彼が生涯の中で、どんな作品を書いて、我々に何を伝えようとしたのかを解説していきたいと思います。

破天荒な少年期

坂口安吾は明治39年(1906)10月20日 新潟県に、13人兄妹の12番目として生まれます。
本名は坂口炳五(さかぐち へいご)と言いました。

大正2年(1913)に新潟尋常高等小學校に入学。この頃の安吾は、着物がボロボロになるまで喧嘩をして廻ったりと、手がつけられないガキ大将でした。

その後、大正8年(1919)に新潟中學に入学するも、試験で4科目が不合格となり落第。
そんな安吾に対し、漢文の先生である渋谷哲治が「お前なんか炳五という名は勿体ない。自己に暗い奴だからアンゴと名のれ」と黒板に「暗吾」と書いたという話は、坂口安吾の名の由来として有名です。

ここまで見ると、本当にどうしようもない悪ガキといった印象が強い人物です。

しかし、そんな素行の悪さの裏では、新聞の講談や相撲の記事などを好んで読んだり、屋根裏で立川文庫を愛読し、忍術を研究するなど、ある意味で勉強家な面もありました。

その後、石川啄木や北原白秋の短歌の影響を受け、自らも短歌を作るなど、文学への関心を深めていきました。
また谷崎潤一郎、バルザックの「絶対の探求」「文学の本質」などの作品を耽読し、早くも小説家への夢が芽生え始めました。

新進作家として文壇へ

昭和5年(1930)の三月に東洋大学印度哲学倫理学科を卒業し、四月よりアテネ・フランセの高等科に進みました。

その年の11月に江口清、葛巻義敏、山口修三らと同人雑誌『言葉』を創刊しますが、昭和6年(1931)に発表した第2号を最後に廃刊となりました。

しかし、葛巻義敏の努力で同年の5月に後継誌『青い馬』を岩波書店より発行することになります。

この『青い馬』第2号に発表され、牧野信一が激賞したのが「風博士」でした。
また、『青い馬』第3号に発表した「黒谷村」を島崎藤村が賞め、これより安吾は新進作家として文壇に認められるようになりました。

そしてこの後も、様々な人との交流を持ちながら、多くの作品を発表していきます。

戦後の道標「堕落論」

終戦直後の昭和21年(1946)4月、「堕落論」を、続いて6月に「白痴」を『新潮』に発表しました。

この2作が終戦後の混迷の世相に反響を呼びます。

そして、太宰治、石川淳、織田作之助等とともに新文学の代表として脚光を浴びました。

「堕落論」「白痴」の2作は、現在でも坂口安吾の代表的作品として名前が上がりますが、特に、先に発表された「堕落論」は安吾の生き方でもあり、多くの作家や評論家に高く評価されました。

なぜそれほど「堕落論」が評価されたかというと、それまでの倫理観を冷静に解剖したことで、敗戦直後の混乱した日本社会にいる人間の歩む道標となったからと思われます。

安吾は、敗戦後の変わり果てた世相を見て、戦争に負けたから堕落するのではなく、元から堕落の本性が備わっているのが人間だと考えました。

そんな新たな切り口を日本人に呈したのが「堕落論」でした。

「堕落論」で何を伝えたかったか

「生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救いうる便利な近道がありうるだろうか」

そう説く安吾は、これを通して何を伝えたかったのでしょうか。

それは正に「堕落する」ことでしょう。

では、ここでいう「堕落」とは何でしょうか。

文芸評論家である磯田光一は「虚飾を捨てて人間本来の姿に徹せよ」ということだと述べています。

「天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。」
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。」

若い特攻隊の帰還兵も闇屋に堕ち、健気な聖女も堕ちていく。
美しいものを美しいままで終わらせることはできないし、それでは意味がない。
堕落は人間の本質であるのだから、正しく堕ちきってから救われろ。

戦後の麻痺した感覚から、ぐっと腕を掴み、現実に引き戻してくれる、そんなストレートな力強さを感じられます。

当時の人々が評価した理由がなんとなくわかる気がしますね。

坂口安吾のまとめ

坂口安吾はどのような作家だったのか、なんとなく知っていただけたでしょうか。

上記では評論・随筆である「堕落論」を紹介しましたが、純文学のほかにも歴史小説や推理小説をも手がける非常に多彩な活動をし、精神面で苦しみながらも、脳内出血で亡くなる49歳まで、多くの作品を書き続けました。
現代でも評価されている坂口安吾の作品。
皆さんも是非手にとって読んでみてください!

参考文献

坂口安吾『堕落論』新潮文庫,平成28年
『現代日本文學全集49 石川淳 坂口安吾 太宰治 集』筑摩書房,昭和29年

坂口安吾『処女作前後の思ひ出』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42890_23090.html

坂口安吾デジタルミュージアム
http://www.ango-museum.jp/info/index.html

坂口安吾
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E5%8F%A3%E5%AE%89%E5%90%BE

堕落論
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%95%E8%90%BD%E8%AB%96