5分でわかる葛飾北斎の経歴と作品について

5分でわかる葛飾北斎の経歴と作品について

世界的にも有名な浮世絵師の葛飾北斎。

江戸時代後期の天保時代(1830〜1844年)にブームとなった風景画を支えました。現在でも「富嶽三十六景」などは多くの人に知られています。

海外の芸術家にも大きな影響を与え、画家のフィンセント・ファン・ゴッホなどが、その一人として主に名前が挙げられます。

今回はそんな葛飾北斎の経歴を簡単に解説していきたいと思います。

子供の頃から天才!?葛飾北斎の歴史

葛飾北斎が生まれたのは宝暦10年9月23日のことでした。
幼名は時太郎といい、後に鉄蔵と改名します。

作画へ興味を示したのは6歳の頃と、晩年、北斎自身も「富嶽百景」のあとがきで語っています。
奇しくも、ちょうどこの年は、木版技術の改良から多色摺りの錦絵が完成した、浮世絵版画界にとって記念の年でした。

その後、貸本屋で働きながら、暇を見つけては貸本の挿絵を見ながら絵の勉強をし、14、5歳となった北斎は木版印刷の版木彫りの職を得たいということで彫刻某家の下に就きます。

そこで北斎は、洒落本「楽女格子」の文字彫りを入門数年で一部担当するなど才能を発揮しましたが、長くは続きませんでした。

絵画修行

本格的な絵画修行に入ったのは19歳。
当時、似顔絵役者絵で第一と評判の高い勝川春章に入門した時でした。

ここでも入門早々に非凡さを発揮し、翌年には春章の「春」と、春章の別号である旭朗井の「朗」取り、勝川春朗という画名が与えられます。

師の号から二文字も譲られるのは、他から見ても破格の扱いでした。

破門と襲名

その後、寛政4年(1792)に師である春章が亡くなり、その翌年あたりに春朗は破門されることになります。破門された理由については様々な憶測が飛び交っていますが、真相は不明です。

この春朗期(15年余)の作品は、現在確認されているだけでも、浮世絵版画200以上、挿絵本50種類以上あり、他にも絵暦など膨大な数が残っています。

当時、ひたすら作画に励み、修行を重ねていた様子が伺えますね。

勝川派を離脱後、新たに俵屋宗理を襲名します。
この画号は琳派の絵画様式目指した一門の頭領が用いたものでした。
それまでとは異なった画風に身を投じた理由は今でも疑問視されています。

ここでも相変わらず、並々ならぬ努力を重ね、襲名までのほんの数ヶ月で宗理派様式を確立させました。

独立と改号

その襲名からわずか約3年後、その号を門人の宗二に譲り、北斎辰政と名乗り、独立を果たします。
現在一般的に知られている「北斎」は、この頃から名乗られており、北斗七星の化身とされた北辰妙見菩薩を信仰していたことに由来するそうです。

その後も改号を繰り返し、生涯で30回改号したと言われています。
北斎は改号と引越しが多いと言われますが、まさにその通りです。

ちなみに「北斎」の号も弟子に譲っているそうで、一説には号を譲ることを、収入を得るための手段としていたのではないかとも言われています。

「葛飾北斎」の姿

北斎の数ある号のひとつのである「葛飾北斎」は、今日最も広く知られています。
文化2〜3年頃に号したとされています。

読本の挿絵

この頃になると、北斎は読本の挿絵に傾注していきました。
北斎がそれまで手がけていた黄表紙などの戯作類に比べると厳しい条件のもので、作製がなかなか難しいものでした。
しかし創意工夫を凝らしていった北斎は、見事読者の興味をひき、大評判となります。

また一方で肉筆画の制作にも心血を注ぎ、「潮干狩図」などの名品を数多く生み出しました。

絵手本の制作

読本挿絵の仕事がひと段落すると、次は絵手本の制作に情熱を注ぎます。
この時出版されたのが北斎の代表作のひとつで、近代漫画の本家本元と言われる「北斎漫画」でした。

そしてこの後、北斎は錦絵の時代に入ります。

風景版画家北斎の誕生

北斎の代表作、「富嶽三十六景」はこの頃の作です。
今日でも北斎といえば風景版画家というイメージが強いですが、それはこの作品によって生み出されたものと思われます。

「富嶽三十六景」は北斎が72歳という晩年期に入った作ですが、遠近法が活用されるなど、新たな画法が適用されています。
その中でも「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」は、日本人なら誰もが目にしたことがあるでしょう。

海外への影響力

日本だけでなく、ゴッホを始めとする画家や、作曲家であるドビュッシーにも大きな影響を与えました。

この後、80歳のあたりからは肉筆画への傾注が顕著となり、作風にもまた変化が見られ、かつてないほどの技法が混用されました。

病に伏し、亡くなるまでの90年間、北斎は筆を持ち続けました。

生涯を通して読本挿絵や絵手本、肉筆画、錦絵に至る多くの分野で、さまざまな題材に目を向け、自己の画風完成を追い求める北斎の、その飽くなき探究心には感服します。

葛飾北斎のまとめ

幼い頃から類い稀な才能を発揮してきた葛飾北斎。

しかし、世界に名を広め、「この千年で人類にもっとも貢献した100人」に日本人で、ただひとり選ばれるまでに至ったのは、絶え間ない努力の結果といえます。

北斎はこれから先、何十年、何百年先も語り継がれるべき存在でしょう。

参考文献:

永井生慈監修「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい葛飾北斎 生涯と作品」,株式会社 東京美術,2008年4月30日

室伏哲郎「ライバル日本美術史」株式会社 創元社,2008年2月10日